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コンドールマン(2) ~ちょっと難し過ぎたかなっていうのはありますね [コンドールマン]

『正義のシンボル コンドールマン』は、1975年3月31日から放送が開始され、半年間にわたって活躍したヒーローだった。ストーリー展開は大別して三つのブロックから成る。第1~13話までの『日本ハンガー作戦』編、第14~17話までの『日本炎上作戦』編、そして第18~24話までの『日本全滅作戦』編である。内容的には『愛の戦士 レインボーマン』の『M作戦』と『モグラ―ト作戦』を進化・発展させて、そこに東映のエンターテインメント性とアクション性が加えられた仕上がりになっており、振り返ってみれば高い評価を得るはずの作品になっていたのだが、当時は視聴率的に振るわず、わずか半年間で終了してしまった。その理由を、レベルが高い内容だったため視聴者である子供達が離れてしまったこと、時代の流れがゴレンジャーのような明るく派手なヒーロー像を求めるように変わっていったこと、と分析している。

ところで全編を通じて登場する三矢一心は、コンドールマンの力を得たことで蘇生したのではなく、彼の遺骨(一心はドラゴンコンドルの卵を守ろうとして、モンスター一族に射殺されてしまう)とゴールデンコンドルとの融合体であるコンドールマンの普段の仮の姿である。よって一心自身の一切の記憶はなく、正確には「コンドールマンが一心に化身している」という形になる。

ではコンドールマン主役・三矢一心役の佐藤仁哉氏の話を、どうぞ。



司会;
「芸歴は長いですよね」

佐藤氏;
「そうなんです。高校2年生くらいから。東宝映画からの青春ものがデビューです。69年に『16歳は感じちゃう』っていう映画で。そのあと数本あって、コンドールマンのオーディションがあって、康範先生に選んでいただいて」

司会;
「川内先生が、目に惚れられたそうですよ」

佐藤氏;
「あ、そうですか(照れ笑)」

司会;
「コンドールマン以前にも、東映作品にはよくご出演されてますね」

佐藤氏;
「あの頃、オーディションを何回か受けて。コンドールマンの前に、仮面ライダーV3も受けてるんですよ。コンドールマンの時はボクの他にも何人か残ったんですけど、受かるよりも落ちるのに慣れてますからね(苦笑)。で、大勢いたんで、今度も落ちるだろうと。そしたらマネージャーが、『残ってくれって言ってるんだけども』って。『嘘だろ?』って思ったら康範先生たちがいらっしゃって、『ちょっとこうやって』って言われて、口と額を隠すポーズを取らされたんです。そしたら、『うん、わかったわかった』って。呆然としましたよ、撮影が始まってからが大変でしたけれど(笑)」

司会;
「やっぱり目を見ていらしたんですね、衣装を着たらどうなるかと・・。作品的にはいかがでしたか?」

佐藤氏;
「環境問題にはすごく興味があったんで、『単なる子供番組よりやり易いなぁ』と思ってました。ただ、ちょっと難しすぎたかなっていうのはありますね。テーマがね。ゼニクレージーとかヘドロンガーとかね。でもあの頃から比べると大分綺麗になったんじゃないですか、川も海も。でも当時コンドールマンを観ていた子供たちがあれを理解していたかどうか・・・なかなか(微笑)難しいですよね。だから大人になって『あれはああいうことだったのか』って思うと、すごく良い番組だと思いますね」

司会;
「政治献金とか汚職なんて言葉は、あの番組で知りました」

佐藤氏;
「政治家ね、変身したりね(笑)。あれ好きでしたね、僕は。ゼニクレージーなんか、大臣ですもんね」

司会;
「政治家だって悪いことしてるってことを、コンドールマンで教えられましたね。それまでは政治家はみんな正しい人で悪い人はひとりもいないと子供心に思ってましたから」

佐藤氏;
「僕も当時二十歳前後でしたけど、政治家に対してはそう思ってましたね。あとオイルショックの買占めとかね。だからテーマ的にはすごいですよね」

司会;
「結構ご自身でアクションもこなされていますが、大変だったんじゃないですか?」

佐藤氏;
「大変でしたね。アクションの人が二人いたのかな。高橋健二(現・大葉健二)君と。のちに『宇宙刑事ギャバン』をやった彼が、中に一回くらい入っていたけど」

司会;
「メインは益田哲夫さんですね」

佐藤氏;
「そうです、そうです。真冬に水を被ったり川に落ちたり、それも朝から晩までですからね。とにかく寒かった。新人だから、バスでゆっくり待ってると怒られたり(笑)。でも全体的には、アットホームな雰囲気でしたね」

司会;
「印象に残っているエピソードなどを・・・」

佐藤氏;
「火薬のタイミングがズレるっていうことも結構ありましたね。マシンガンで撃たれて木の間を縫って行く時も、弾着を木に仕掛けておくんですけど、そこを通り過ぎる前にバーン!とね。ちょっと火薬は恐怖でしたよ。当時の爆発は火薬とセメントで表現してましたが、ジャンプした後ろで爆発するシーンで、一発のはずが二発同時に鳴っちゃって。撮影現場の海岸が、セメントで真っ白になっちゃったこともありましたね。それとコンドールマンが乗る車あるじゃないですか・・・」

司会;
「マッハコンドルですね」

佐藤氏;
「そう、そんな名前の。あれベースはフェアレディだったんだけど、あれは全部自分で運転してましたね」

司会;
「コンドールマンの衣装を着てですか?」

佐藤氏;
「マスク被って、マントをガムテープで両肩に止めて。あの恰好で走ってましたよ。走りながら手裏剣みたいのを投げるとか、あれも自分でやってたんです。ハンドルを片足で押さえて、チョーク一杯回転を上げて、それでそのまま走らせて。乗ってからチョークを戻してやってました。全部自分です。今考えると危険だったですけど、演ってるときはもう何もわからず演ってましたね」



佐藤仁哉氏は、この後電脳警察サイバーコップのバロン影山役(88年)やウルトラマンダイナ(97年)などでもご活躍をされている。
石ノ森ヒーローの仮面ライダーやゴレンジャーのように、FRP製のオールマスク型のヒーローが主流になっていくなかで、コンドールマンは人間の目が見える数少ないヒーローであった。月光仮面の流れをくむ、ひと目で『川内康範ヒーロー』と分かるヒーローであった。

時代が変わっても、日本人の持つ勤勉さや勤労さ、誠実さ、我慢強さといったものは変わらないはずだと思いたい。だが近年の日本人を見ていると、そうではないと思われてくる。偉そうなことを言うつもりは毛頭ないが、そういった日本人の素晴らしい気質が、時代と共に変わって行ってしまうことを、川内康範氏は一番憂いているように思うのである。



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