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ダイヤモンド・アイ(2) ~危ないこともいろいろ演りましたよ。でもテレビで観るとそれがよくわからないんですよ(俳優・歌手/大浜詩郎氏)その1 [ダイヤモンド・アイ]

また一人、「ヒーローを演じた男」が旅立っていたことをご報告しなければならない。いや正確にいうならば、ヒーローを演じたのではなく、ヒーローと共に巨悪と闘った男というのが正しいだろう。今回は遅ればせながら、川内康範先生のヒーロー三部作の第二作目『ダイヤモンド・アイ』を取り上げるに際し、主人公『雷甲太郎』について調べていて、この訃報にぶつかった。大浜詩郎氏が亡くなられたのは2010年1月のことで享年63歳、まだお若い。

大浜氏は大学在学中に日活にスカウトされ芸能界入り(1967年)し、多数の日活映画に出演。その後フリーとなってテレビ界に活躍の場を移していく。1973年『光の戦士 ダイヤモンド・アイ』の主役・雷甲太郎役で、筆者をはじめ多くの特撮ファンは大浜氏を知ることになる。その後は主に舞台を中心に活動していた。歌手とも書いたように、1994年には裕 詩郎(ゆう しろう)としてCDデビューを果たしている。この辺の話は、後ほどインタビューの中にも出てくる。

ところで、当時ある雑誌に次のような掲載記事が載ったという。『変身ものの次にブームを呼ぶのは、献身ものにまちがいない・・・』 「献身」とは、自分を犠牲にして社会や他人に尽くすことである。川内三部作のヒーロー達はみな、この「献身もの」であるに違いない。しかし、この『ダイヤモンド・アイ』が他2作と決定的に違うのは、主人公が雷甲太郎とダイヤモンド・アイの二人いる点だ。

雷甲太郎はルポライターで、日々社会の中に潜むさまざまな事件を追っている。事件として悪徳連中を追ううちに、彼らの背後に前世魔人の存在を知るのである。そして人の力の及ばない状況になったとき、超人アイの登場となる。超人よりも人間を主体として描くというドラマ作りであり、超人アイは「守護神」的な存在として描かれている。
では、ライコウ・インタビューをどうぞ。


★★★★★★★★★★★★
聞き手;
「『レインボーマン』のオーディションを受けられていたそうですが」

大浜氏;
「そうなんですよ。でも僕が行ったときには、もう決まった後だったようでした。篠田三郎さんも来ていましたよ。その時は何もなかったんですけど、この『ダイヤモンド・アイ』をやるときに声をかけていただいたんです。主役の選考には、北見八郎役(*)をやった谷岡行二さんも東宝からきていたんですよ。僕と二人でアクションのテストやったり、カメラテストしたり。結局、局側の推薦で、ボクになったようです。

こうしてみると、ライコウという役はハマッていたんじゃないかなと思うんですよ。自分でいうのも何ですけど。あの「ライコウ・マーチ」という歌も好きでしたね。どこかのニュース番組でつかってくれないかなぁと思っているくらい(笑)」
(*)源海龍(実は魔人キングコブラ)が謎の総裁となって仕切る協会で、秘書をしている

聞き手;
「大浜さんとキャラクターが近かったのでしょうか?」

大浜氏;
「どうなんでしょうね。やっているうちに、僕のパターンになっていったのかもしれない。アクションには自信があったんで、かなり自分でやってますね。ちょうどブルース・リーが流行り出した頃でした。今観ると、反省すべき点も多いですけど」

聞き手;
「かなり無茶なことも要求されましたか?」

大浜氏;
「危ないこともいろいろやりましたよ。ジェットコースターの上で格闘したりね。でもテレビで観ると、それがどんなにたいへんなことなのか、わかんないですよね。あと、断崖絶壁みたいな所を走ったりもしました。テレビで観ると、その崖がどんなに高いのかわからない。1ショットでいいから、それが判るカットを入れてくれればいいなぁと思いました。オレ、すごく大変なことをしてるんだぞ、とね(笑)

 第一話でモンちゃんが撃たれるところで、階段から飛び降りるシーンがあるんですよ。実はかなり高い場所なんです。でも飛び降りるまでを、ワンカットで撮っている。そうしないと、人の命の重さというのが出ないでしょう。どこまで伝わったのかなって思いますがね」

聞き手;
「特に怪我はされませんでしたか?」

大浜氏;
「いいえ、ありませんでしたね。オーディションの時にも、『怪我のひとつやふたつ、平気だよね?』と聞かれたので、『いや、怪我はしません』って答えたんです。生意気にもね(笑) ちゃんと下準備さえすれば怪我はしませんし、殺陣だってそんな無謀なことはさせませんから。高瀬(昌弘)監督は、『無茶はするなよ。お前が怪我したら撮影できなくなるんだからな』と言ってましたけどね。六鹿(監督)さんは逆に、『もっとやれ!』という感じで、ノセてくるタイプでしたね。

そういえば同じ撮影所で『太陽にほえろ!』も撮っていたので、よく松田優作とも会いましたよ。撮影所の前にある喫茶店でよく話したりね。よく彼は『そっちの(番組)方がいいよ』って、言ってたなぁ。僕は日活で(石原)裕次郎さんとのお付き合いも長かったので、現場ではよく声をかけて頂きました。日活の延長線みたいな感じで、もうそれだけで幸せでしたよ。やはり僕の青春は日活でしたから」   (つづく)



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