So-net無料ブログ作成
検索選択
ウルトラマン ブログトップ
前の3件 | 次の3件

50人のウルトラマン(2) [ウルトラマン]

(第2回)実相寺昭雄(監督・故人)と佐々木守(脚本家・故人)
この二人がコンビを組んで作った作品は、ウルトラマンの中でも異彩を放っている。
作品の怪獣; シーボーズ・テレスドン・ジャミラ・ガマクジラ・ガバドン

<シーボーズ>
◆意表を突く設定とカメラアングル、それにストップモーションの使い方は、実相寺監督の鬼才が発揮された作品だ。

実相寺監督インタビュー;
「どうも直球の回は担当しなかったから。全部変化球だったからね。飯島さん(監督)の直球の回をどこかで中継ぎする役割かな、ボクは。」

佐々木氏インタビュー;
「ボクの考えたものよりもはるかによく作ってくれましたね。特に怪獣の造形なんかは。ボクの脚本は、ト書きを読むと実にいい加減なことしか書いてないんですよ。ガマクジラはガマとクジラの合いの子のような怪獣とかね。宇宙に帰りたいシーボーズとか。ボクのいい加減なト書きをね、実に豊かに怪獣を作り上げてくれてましてね。そういう意味では、当時の円谷プロのスタッフはすごかったですね。」


<スカイドン>
◆あまりにも有名なスプーンを握って変身しようとするシーンや魚眼レンズで撮るフジ隊員の顔のアップは、実相寺演出の極めつけ。

佐々木氏インタビュー;
ボクがウルトラマンやってるっていうんで、石川県の親戚連中がみんな観てるんですよね。僕自身が怠け者でいつも寝てますからね、怪獣を書いても動かない怪獣が多くてね。だからスカイドンを見た親戚たちは、みんな言いますよ。ああ、今回は寝てばかりいるから、あれは守だって(笑)。」

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

50人のウルトラマン(3) [ウルトラマン]

ウルトラマンシリーズは1年間製作して50話ほどあるのが普通であるが、初代ウルトラマンは全39話しかない。それにはある理由があった!

(第3回)飯島敏宏(監督)・満田穧(監督)・栫井巍(かこいたかし TBSプロデューサー)

★飯島監督インタビュー★
「ちょっと恐ろしかったな、ウルトラマンは何物にも負けない強いということでやってきたから。ウルトラマンよりも強いという、これは悪ですからね。一番強いものよりも強いものに対して捧げる言葉が悪だとしたら、そういうものの存在っていうのは怖いし、そういうものは無いと思って作ってましたからね」


★満田監督インタビュー★
「放送局のプロデューサーが、この調子で言ったら放送に間に合うかねって言ったから、間に合いませんって答えちゃったもんで、じゃあ止めようということになって。普通だったら前後編とか使って最終回をやるんだけど、突如一本だけで止めてるわけですよね。

だけど一旦帰っていくんだから最後ではないなと思っていたし、また間に合うようなことになれば、帰ってこさせればいいんだなと思っていたしね」


★栫井プロデューサーインタビュー★
「もうギリギリでとても制作能力が追い付かないと。もう放送寸前で持ち込みというような状況になってきたんで、これはもうあきらめざるを得ないと。こっちは何とかして続けられないかと何度も申し入れたんですけど。

円谷側の制作体制が整わず、間に合わない、しばらく休みたいとかいうことなので、それならいつできるかわからないので、それなりにどこかへ消えるとか居なくなるとか、カッコイイ最終回を作ってくれと申し入れたんです」

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

50人のウルトラマン(4) [ウルトラマン]

★市川森一(脚本家・故人)

ウルトラセブンからシリーズに参加し、ウルトラマンAではメインライターとして数々の名作を手掛けた。しかしながら1クール消化した時点で降板してしまう。市川が企画段階で提示した要素が全て排除されてしまい、ウルトラシリーズに対する情熱を急速に失ってしまったからと述懐している。

しかしメインライターの責任として最終回を書くようにプロデューサーから言われ途中復帰、第48話と最終話の2本を書いている。

《ウルトラマンA脚本》
第1話(ベロクロン)・第4話(ガラン)・第7・8話共作(ドラゴリー他)・第9話(ガマス)・第14話(バラバ他)・第48話(ベロクロン2世)・最終話(ジャンボキング他)

インタビュー;
「みんな二十代でしたしお金が無くて貧乏だったし、どうなりたいっていうことはないんですよ。とにかくもう夢がいっぱいで、その夢を形にできるっていうだけでみんなワクワクしてたし。円谷プロというのはその頃はまだ木造のね、汚いところだったんですよ。

そこに行って朝から晩までセブンの話をして、仕事が終わってもみんな別れづらくてね、東京の成城学園から祖師ヶ谷大蔵の道を皆で歩いて、そうすると必ず行きつけのお店が何軒かあって。そこでまた話す話は結局セブンの話しかないんですよね。そういう日々でしたよ。

ちょうどテレビが普及しましてね。その前ボクは円谷プロで快獣ブースカを書いていました。ブースカはまだそのころ白黒です。ボクも白黒からカラーのテレビが買いたくて買いたくてね。そうするとね、ボクはウルトラセブンの台本を5本書けば買えるかなとかね、安いギャラだったんですかね(笑)。

それともテレビが相当高かったということもありますね。そういう新しいメディアが出てきた時にボク達がこういうSFをやるっていうね、そのメディアに乗ってやるっていうね、そういう意気込みが今とはちょっと違うかもしれませんね」  (つづく)

タグ:市川森一
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ
前の3件 | 次の3件 ウルトラマン ブログトップ