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仮面ライダー1号秘話(1) [仮面ライダー1号]

  《仮面ライダーは、なぜ武器を使わないのか?》
『仮面ライダー』には、いくつかの映画的な秘密が隠されている。武器を使わないというのもその一つだ。スペシウム光線を使うウルトラマンに対して、ライダーは素手とキックとサイクロン号での体当たりしか武器が無い。ウルトラマンは空を飛べるが、ライダーは15メートルのジャンプがすべてだ。なぜ超人的な武器や必殺の武器を嫌ったのか?

それは、時代劇の監督をやっていた当時の平山(亨)さんの経験によるものだということを聞いたことがある。「昔、萬屋錦之介(よろづや きんのすけ)さんの主演で『清水の次郎長』を撮った時、時代考証をしたら拳銃を持っていてもおかしくないということだったので、二丁拳銃を持たせたことがあったんです。出入りの時に派手なガンさばきを演じてもらって、私達はカッコよく仕上がったと喜んでいました。

ところが上映してみると、お客さんがちっとも喜ばない。日本人の感覚として飛び道具は卑怯だという根深いものがあるんだと思い知らされたんです。だから仮面ライダーにも、武器を持たせようとは思いませんでした」 そんな風に語っていらした。主人公を巨大化しないというのも、長年の平山さんの経験から来た判断だったようだ。彼が作ってきた子供番組の主人公は、誰も巨大化しない。となりではウルトラマンが体長40メートルにもなっているのに、仮面ライダーは人間の等身大のままだ。

仮面の忍者赤影もそうだし『ジャイアントロボ』ではロボ自体は最初から巨大だが、主人公の少年は当然のことながら大きくならない。仮面ライダーの場合、放映当初視聴率が低迷していた時に、一度だけテレビ局から「大きくしたらどうだ」という提案があったという。悩んだ平山さんたちは、怪人トカゲロンだけ他の怪人より30センチ程度背を高くした。その程度では誰も気付かなかったと思うし、逆にいえばそれほど巨大化したくなかったということでもある。

そのうち視聴率も上昇し「巨大化案」は消え去ってしまった。今でこそ、仮面ライダーは等身大のヒーローと言われている。遊園地などの実演で子供たちに絶大な人気があったのは、最初から等身大だったからだ。ブラウン管では巨大なウルトラマンが実演で巨大になれないのでは、子供だってシラケてしまう。安易に巨大化していたら、そんな人気は得られなかった。その意味でも、スタッフの意志の強さが吉と出た結果だった。



  《なぜライダーのコスチュームは、色が変わっていったのか?》
よくマニアックなファンに質問されるのは、1号ライダーと2号ライダーのコスチュームがどうしてかという点と、1号ライダーも復帰してからコスチュームが変わったのはなぜかという二点だ。2号ライダーからコスチュームが変わったのは偶然で、仮に藤岡弘氏の事故が無かったとしても、コスチュームは変えていたはずだという。なぜなら当初の衣装は真っ黒で、夜の対決のシーンになると姿が見えなくなってしまうからだ。

ライダーとこうもり男の対決シーンでは、黒対黒で画面が真っ黒だったという。これでは変えざるを得ない。それだけでなく、衣装などは途中で何回もマイナーチェンジを繰り返している。これも平山さんの話だが、彼は当時人気急上昇中だったマンガ雑誌の編集者に話を聞いて、「主人公の姿形は途中で変わってもいい」と教えられたというのだ。

当時の映画的な考えでは、一度世に出た主人公は何があっても姿や衣装を変えることはなかったという。鞍馬天狗しかり、赤影しかり。いつも同じ衣装で通している。これに対し漫画は、長く読んでいると主人公の姿は変わるし、顔つきまで変わったしまうこともある。平山さんはそのことを不思議に思って漫画の編集者に聞くと、「変わったっていいじゃないですか。主人公がよくなるのなら。我慢して元のままにこだわる必要はないじゃないですか」というあっけらかんとした答えが返ってきたという。

当時漫画雑誌は雨後のタケノコのように誕生し、世の中の人気を集めていた。そのメディアの勢いを借りて、平山さんたち制作陣は、『仮面ライダー』の衣装を徐々にマイナーチェンジしていった。1号ライダーは、復帰してから手袋とブーツがシルバーになった。2号ライダーも手袋とブーツが赤になった。ジャンプスーツも、ラインが入ったり銀色になったりした。皆、少しでもいい主人公にしようという、スタッフの執念の賜物であった。


★★★★★★★★★★★★
仮面ライダーにも巨大化する予定があったことに、本当に驚いてしまった。確か映画で『仮面ライダー対ウルトラマン』というのがあったような気がするが、巨大化した仮面ライダーを観ることが出来る唯一の作品では無いだろうか。この原稿を書きながら、早速検索してみると、確かにあるなぁ。題名は『ウルトラマン対仮面ライダー』 当時円谷プロと東映も共に作品を放映して無い時代に作られた、貴重な映像である。さすがに力の入れ方は雑ではあるが、仮面ライダーが巨大化する瞬間を見ることが出来る。つっこみ所はたくさんあるが、思うことは一つ。「仮面ライダーが等身大ヒーローで、よかった!」

仮面ライダー1号秘話(2) ~1号ライダー本郷猛こと藤岡弘、氏が語るライダー撮影秘話! [仮面ライダー1号]

  《ウルトラマンに負けるな!》
「仮面ライダー」のライバルは「ウルトラマン」だったと書くと、何か気恥ずかしい。私達が「仮面ライダー」の撮影に入った頃、「ウルトラマン」はすでに三年前から放送されていて、子供たちの大ヒーローだった。1968年に誕生した「ウルトラマン」は、その四年前、日本の高度成長の原点となった東京オリンピックで金メダルを量産した男子体操競技を出発点としている。とても人間技とは思えない鉄棒や床運動の演技に、「ウルトラC」という称号が付けられた。

そこから、「ウルトラ」というのは人間技を超えた凄いものというイメージが広まり、「ウルトラマン」の誕生となった。言うまでも無く「ウルトラマン」は円谷プロの制作で、TBSが放送して大ブームとなっていた。それに対して「仮面ライダー」は、なぜライバルというのがはばかられるのか。視聴率から言えば、「仮面ライダー」だって徐々に頭角を現して肩を並べ、全盛期には「ウルトラマン」を抜き去るまでになったのだから、卑下する必要はない。

「ウルトラマン」も今に続く第二,第三のブームを呼んでいるが、「仮面ライダー」だって長寿ブームを誇っている。ここでもひけを取っていない。ところがそれでも私たちが素直にライバルと言えないのは、当時の撮影環境のあまりの違いを知っているからだ。少なくても制作費を比べたら、何倍かの違いはあったのではないだろうか。

円谷プロは特撮の歴史も古く、様々なテクニックを駆使して怪獣の迫力やスケールを上手に撮影していた。「ウルトラマン」はスペシウム光線という武器を持ち、隊員が乗る車や飛行機も近未来を想定した斬新なものだった。それに比べて「仮面ライダー」はどうだっただろう。画面を思い返していただければわかるが、ライダーに武器は無し。パンチとキックのみ。

乗っているのはサイクロン号という名のバイク。時速400キロで走り、30メートルのジャンプが出来るという設定にはなっているが、空を飛べるわけではない。極めて現実的だ。改造人間の着ぐるみも、よく見ると寸法が合わずに素手が出ていたり、目元から素顔の一部が覗いていたりしたはずだ。撮影も、ライダーは人間の等身大だから、金のかかるセットやミニチュアは無し。

撮影方法も、ほとんど特撮は使わなかった。その代り、生身の人間が高い崖から飛び降りたり、ロープウェイに命綱無しにつかまったり、トランポリンで高く飛び上がったり、水中に投げ込まれたりしていた。つまり、お金はかけないけれど身体は酷使するという、本当の意味のアクションだったのだ。これでは同じ子供のヒーローだからといって、ライバルとは言えない。いや、言いたくない。

自分たちを卑下するという意味ではなく、私達は自分の身体を駆使してヒーローを創り出したのであり、ウルトラマンとは違うと言いたいのだ。だから、「仮面ライダー」のライバルは「ウルトラマン」では無い。むしろプロレスだったり相撲だったりスポーツ番組だったといってもいい。人間の肉体は、勇気と鍛錬によってどこまで力を発揮できるのか。どこまで不可能を可能にできるのか。どんなに強いものか。どんなに美しいか。無意識のうちに、子供たちはそういうことを感じてくれていたのではないか。それが、人気の秘密だったと思っている。


 《ライダーのヘルメットはこうして作った》
「仮面ライダー」の撮影に入る前の最初の打ち合わせ、それは仮面作りから始まった。そもそも仮面もので行こうというのは、プロデューサーの平山さんと放送局との話し合いで決まっていたらしい。当時の子供番組はアニメのスポーツ根性物語が全盛で、実写は「ウルトラマン」でも苦戦していたそうだ。そういう時代にあって、「仮面ライダー」は土曜夜七時半のお化け番組「お笑い頭の体操」(*)の裏番組としてスタートすることが決まっていた。
(*)1968年2月3日から1975年12月27日までTBS系列局で放送された、大橋巨泉司会のバラエティ番組。後番組は、これはもう有名なクイズダービー。

苦戦は必至。「駄目でもともと」の投げやりな放送枠だったそうだ。「そういうときは周囲を見回して、無いものをやればいいんだ」と、毎日放送の庄野プロデューサーは言ったらしい。確かに二番煎じ三番煎じのアニメを持ってきても、コケることは目に見えている。だったらそれまでにない実写で、しかも主人公が途中で仮面をかぶる「変身もの」はどうだろう、と企画は進んでいった。

このとき平山さんは、主人公が途中で仮面をかぶるよりも、自然に変身して身体の内側からパワーがみなぎってくるのがいいと考えていた。当時アメリカで流行っていた漫画「超人ハルク」の主人公が、そのパターンだったという。怒ると背広を着た肉体が盛り上がって、中から緑色の筋骨隆々の肉体が服を破って現れる。この登場にはインパクトがある。

そのアイデアが重なって、「仮面」+「変身」ということになった。ライダーの仮面やジャンプスーツ、ブーツ、手袋などは、すべてオーダーメイドだった。ヘルメットの内部には、アクションの衝撃を和らげるようにパッドが入っている。被ってみて最初に感じたのは、重心の高さだ。被ると、頭が前のめりになる。問題は視界だった。

仮面越しに前を見ようとしても、視界を確保するための穴が小さくて、両脇と上下が見えない。穴はちょうどライダーの大きな目の下に、細長く切られていた。撮影の最初の頃は、どうしても視界が不十分だから、アクションの加減が分からなかった。どこから敵がやってくるのか、どこに足場があるのか、当てずっぽうでやるしかなかった。

だから戦闘シーンでは、無我夢中でパンチやキックを繰り出して、間違ってショッカー役に当たってしまうことも、しょっちゅうだった。もちろん擬闘とは言っても、真剣な果し合いの方が映像が締まることは明らかだ。迫力ある画が撮れたのは、視界が狭かったからだと言えなくもない。

けれども、当時から私は柔道、空手の有段者だったので、パンチやキックがモロに当たったときの痛みはよく知っている。中には間違ってパンチが顔に入ってしまい、前歯がガクガクになってしまった人もいた。ショッカーを演じていた大野剣友会の皆さんには、たいへんご迷惑をおかけしてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだ。新人だった当時の必死さに免じて、お許し頂きたい。


★★★★★★★★★★★★
確か、「帰ってきたウルトラマン」の郷秀樹役団時朗氏(当時;団次郎)が、ライバルは「仮面ライダー」だと言っていた。あの頃は仮面ライダーの方が人気が上だったのかもしれない。「仮面ライダー」と「ウルトラマン」は比較できない別物だと藤岡氏が言う理由も、言われてみればそうだなと思う。

どちらも、かつて日本には無かったタイプの新ヒーローなのだ。全く新しい流れを作ってくれた東映と円谷プロには、本当に感謝したい。どちらとも、製作環境に違いはあっても、ちゃんと作ってくれていたことが、長い人気を保っている理由であることに間違いないと思う。

今の時代はCG(コンピュータ・グラフィック)で危険なスタントも画像処理で簡単に映像化できるようになったが、昭和ライダーたちの映像が好感を持って観ることが出来るのは、当時のスタッフの一所懸命な手作り感が十分に伝わる映像になっているからだと思う。

仮面ライダー1号秘話(3) ~1号ライダー本郷猛こと藤岡弘、氏が語るライダー撮影秘話! [仮面ライダー1号]

 《変身ポーズの秘密》
「藤岡君、変身する時は何かポーズ必要でしょう。こんな感じはどうかな?ちょっと見てて」確か怪我から復帰して、ロケに入って間もなくした頃だったと思う。番組全体のアクションを担当していた大野剣友会の若頭役、高橋一俊(*)さんが藤岡氏の所にやってきて、そのポーズを見せてくれた。

左手を腰に当てて、右手を大きく回転させる、のちに有名になる「変身ポーズ」であった。高橋さんが何からそれを考え出したかと言うと、眠狂四郎の円月殺法だったという。

昭和時代初頭に、大映映画でやっていた眠狂四郎の必殺剣である。眠狂四郎は刀を回すが、ライダーは手を大きく回す。のちに全国の子供達にこのポーズが大流行となった。この変身ポーズをマネして、変身ごっこで遊んだ記憶のある人も多いだろう。

歴史はくり返すと言うが、眠狂四郎から仮面ライダーへと姿形は変わっても、カッコイイ部分は時代を超えて受け継がれていくのであろう。そういう意味では、ヒーローはいつの時代でも普遍的な魅力があるのだ。
(*)1991年に他界、享年49歳の若さだった。

怪我をする前の仮面ライダーは、バイクに乗っている時にベルトに風力を受けて変身するという設定だった。バイクが無い時は、自分が崖から飛び降りて落下しながら、風を受けて変身するのだ。エネルギーが風力だから、そうするほかに無いのだ。

ところが、仮面ライダー2号になってくれた佐々木剛氏は、バイクの免許を持っていなかった。だからバイクで疾走しながら風力を受けて変身する、という設定に無理がある。また毎日放送のプロデューサーからは、『自分の意志で変身できるようにした方がいい』というアドバイスがあったらしい。

そこで2号ライダーから変身ポーズが始まり、怪我から回復した藤岡氏がそれを引き継ぎ、V3の宮内洋氏へと継承されていく。三人のポーズは大体同じだけれど、それぞれが『俺が一番だ』と主張している。佐々木ライダーの変身ポーズには、無駄な力みが無い。

藤岡ライダーの変身ポーズは力み過ぎだと、いつも言われる。宮内V3にはテレが無い。どんな臭い演出でも、平然とこなしてしまう役者根性がある。三者三様の変身ポーズなのである。



 《本郷猛は、すべてが自前だった》
今から考えると信じられないけど、撮影当初の本郷猛の衣装はほとんどが自前だった。ダブルの紺色のブレザー姿で大型バイクに乗っているシーンが『何かヘン』と話題になったことがあるけれど、あれも自前の衣装だった。あの頃は、現場にスタイリストなんてついてくれなかった。

他の現場ではどうだったのだろう。当時生田は山奥で、衣装も何もなかったし、撮影はロケばかりだから、スタイリストが来てくれるような環境では無かった。自分で工夫していたのは、ジーンズをはくときに、中にタオルを入れてシワにならないようにしたことだ。当時の体重は62キロくらいしか無かったから、ウエストでジーンズをはくと、太ももの辺りがブカブカになってしまう。

実は仮面ライダーの主役が決まる前は、アルバイト的にモデルをしていたことがある。ファッション誌に登場し、流行の服を着てポーズを取っていた。その時に感じたことは、モデルさんたちはどんなに衣装に気を配って着こなしをしているか、その執念だった。みんな服が好きだし、自分の体型を考えてあれこれ工夫して着こなしている。ジーンズにタオルを入れるくらい、モデルの世界では当たり前のことだ。

それにしても、あの過酷な撮影を自前の衣装で乗りきるのは大変なことだった。腕時計なんかいくつ潰したかわからないし、靴もすぐに擦り切れてしまう。ベルトも何本も買い換えた。当時はメーカーとのタイアップなんて無かったし、それが当たり前だと思っていた。

唯一「自前の衣装」でよかったと思ったのは、後になって撮影に使った衣装を「開運!なんでも鑑定団(テレビ東京)」に出品した時のことだ。プロデューサーに頼まれてのことだったが、ただの服やベルトに40万円もの値が付いた。本来は単なる衣装なのだが、撮影の思い出に大切に保存しておいたものだった。今でもヘルメットから衣装まで一式そろっている。これらはみんな、藤岡弘氏の青春の燃焼を見届けてくれた貴重な証人たちだ。



★★★★★★★★★★★★
ウルトラマンでは、科特隊の活動は制服がほとんどだったので、「自前ファッション」で撮影していたのは、仮面ライダーだけだったのではないだろうか。ウルトラマン撮影当時を振り返って語ってもらう話を紹介した時に、『あの時のあれは「自前」だった』という話を紹介した覚えが無いので、撮影環境はウルトラマンの方がはるかによかったものと思われる。

ただし必ずでてくるエピソードとして、『制服の色が派手で、恥ずかしくて一人で街を歩けなかった』はどの隊員の口からも聞かれたが。その点では、「自前の服」を着こなしていた藤岡氏は、モデルもやっていただけに、センス抜群のところを視聴者にアピールすることができたので、とても良かったのではないだろうか。

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