So-net無料ブログ作成
検索選択
レインボーマン ブログトップ
前の3件 | 次の3件

レインボーマン(4) ~あんな悠長な弱点を持つヒーロー、いないんじゃない?(脚本家;伊東恒久氏) [レインボーマン]

(前回からのつづき)
聞き手;
「この番組を見て、物価高騰ということがどういう仕組みで起こるか、わかったという記憶があります」

伊東氏;
「そうなんだよね。インフレが起こる仕組みなんかをドラマの形でやっていたわけでしょう。昨日は千円で買えた物が今日は五千円じゃなきゃ買えないとかね。子供番組だから誇張して描いてはいますけど、その根本にあるのは大人社会の論理、経済原理ですよ。

それを見せていくには、やはり1話完結では無理なんだ。こういう原因があって、こういうことが起こる。主人公の目を通して、庶民の生活がどう変わっていくのかということを物語として描くには、1話完結じゃ無理なんですよ」

聞き手;
「『レインボーマン』というと、アンパンが2個で千円になるというシーンが、忘れられないんですよ。千円なんて当時の僕らには、夢のような金額でしたから」

伊東氏;
「(笑)そういうことなんですよ。当時アンパンなんて、1個数十円とかでしょ。ほら、インフレなんて言うと難しいけど、そういうことなんだってやれば、分かり易いじゃない?子供だけじゃなくてね、子供と一緒に見ている大人も、一緒に考えてくれればいいなと思っていた」

聞き手;
「ところで、登場する怪人は、どなたが考案されていたのでしょうか?」

伊東氏;
「基本的にはボクだね。シナリオの段階で、『大体こんな感じ』というものを考えてはいるんだけれど、製作が進むとデザインも間に合わない。だからプロデューサーと二人で高架下にある西銀座デパートへ行って、そこで売っていたお面を買ってきて、ちょっと細工して使うなどの工夫もしてましたよ。

予算の関係もあって、全身着ぐるみというのは無理だったからね。でもそういう形で統一したから、それはそれで味が出たんじゃないかな」

聞き手;
「この番組の魅力でもある7つの化身というのは、書く方からすると、どこでどう登場させるかとか、配分とか、ご苦労されたと思うのですが?」

伊東氏;
「その辺は上手く割り振っていたつもりですよ。前回は火、水だったから、次は木、金を出してくれとかね。それはライターにお願いしていました。だんだん向こうもコツが判ってきたというか、こっちが言わなくても出してくれるようになりました」

聞き手;
「調べてみると、割と土の化身の出番が多いんですよね」

伊東氏;
「やってることは地味だけどね。ほら、ヨガの眠りが近づくと、どうしてもどこかに逃げて隠れたりしなきゃならないから、それで出番が多くなったのかもしれない。あのヨガの眠りという設定も、ユニークだよね。こういうヒーローものの場合、超能力以上に弱点というものを上手く創らないといけないんだよ。ウルトラマンだって、そうでしょ?」

聞き手;
「寝てしまうというのが、斬新でしたよね」

伊東氏;
「エネルギーを充てんするという意味では、理屈の合っていたと思うけどね」

聞き手;
「5時間という時間も、非常に微妙で」

伊東氏;
「そうそう。あんな悠長な弱点を持ったヒーローもいないんじゃない?(笑)」

聞き手;
「そのたびに、真っ白く塗られる水谷(邦久)さんもたいへんだったと思いますけど」

伊東氏;
「あればかりは、流用が利かないからね。だから、さすがに毎回は出来なかった」

聞き手;
「あと、レインボーマンが大臣に直訴に行くという場面も、鮮烈でした」

伊東氏;
「あの辺はやはり、川内先生の生き方が現れていると思う。『憂国(*1)の士』みたいなとこがあるでしょう?しかも、在野(*2)から物を言うから、強いんだ。『俺は無頼の一介の浪人だから』と」
(*1)ゆうこく;国家の危機を心配すること
(*2)ざいや;官職ではなく、民間の立場にいること

聞き手;
「人々の暴動を前にして、レインボーマンが全く無力だというのが凄いと思うんです。普通なら、何か凄い力を見せたりしそうなものですが」

伊東氏;
「その辺が難しいところなんだ。ヒーローなんだから力を見せればいいじゃないかと思うけど、その頃考えていたことはね、それじゃ人間がダメになると。神様みたいな力で弱っている人を助けるということが、果たしていいのかどうか。それは、ただの対処療法にすぎないでしょう。

最近のNGOも昔と違って、貧しい人に施しをするだけじゃダメなんだという考え方に、変わってきている。最終的に、その人達が自立することが目的だから、それが出来るようになるまで、面倒をみるというふうにね」


聞き手;
「その通りだと思いますね。それをヒーロー番組の中でやったのが凄いところだと思うんです」

伊東氏;
「大人のドラマじゃ出来なかったと思う。子供番組だから、出来たんですよ。何でも神様が解決してくれるというのは、逆に言えば人間をないがしろにすることでしょう?だからね、あくまでも人間本位にしないと。確かにここで描いているのは、あんぱん2個千円という誇張された世界ですよ。

でも超越した力ですべてを解決するんじゃ無くて、人々が何で苦しんでいるのかということを、見極めないとダメなんじゃないかと思う。この作品では、死ね死ね団という悪にその原因を集約させて描いてはいるけど、『そこに象徴される原因を、どう排除していくのか?』ということを常に考えていかないとね。

何でもかんでも『神様、お願い!』では、勇気をもって物事に立ち向かうという発想が生まれないじゃない。こういうことができたのは、やはり川内先生というカリスマ的原作者がいたからでしょうね。他の番組なら、いろいろな意見が入ってきて、こうはいかなかったと思う」    (おわり)


★★★★★★★★★★★★
レインボーマンの後半で、その本体であるダッシュ7の力を強化するために、合体の術(レインボークロス)を体得するが、この術のおかげでダッシュ1~6までの化身単体に変身することが無くなってしまい、画としてはつまらないものになったように思う。
複数のサイボーグと戦うための手段として、複数の化身の力をダッシュ7が身に付けることが出来る術なわけだが、その術の欠点も創るべきだったと思う。合体の術は3分間しか持たないとか、ヨガの眠りが1時間増えるとか、新たに弱点を創ることで、死ね死ね団との戦いがより厳しいものとなったに違いない。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

レインボーマン(5) ~「レインボーマン」では、実に気持ちよく仕事が出来ました(特技監督;故・有川貞昌氏)その1 [レインボーマン]

ウルトラファンなら、このお名前をご存じの方は多いと思う。たいへん残念なことに、2005年9月に他界されてしまわれている。有川貞昌氏は戦後の混乱期に就職したが、色々な事情で東宝と円谷特技研究所を行ったり来たりしている。最終的には東宝に席を置いたようである。

円谷英二氏が特技監督を務める作品で撮影助手・カメラマンを歴任し、その右腕として活躍された。やがて円谷プロのテレビ映画『ウルトラQ』で特技監督デビューを果たし、その後東宝映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』でも、東宝の二代目特技監督に就任した。

1970年の師匠円谷英二の死去を機に東宝を退社。翌年、国際放映に移り、『レインボーマン』『バトルホーク』などに関わることとなる。円谷英二の愛弟子として薫陶を受け、円谷を『オヤジ』と呼んで慕った。穏やかな顔つきの人物にみえるが、仕事現場では非常に厳しい人であったという。

では、有川氏のインタビューをどうぞ。


★★★★★★★★★★★★
聞き手;
「『愛の戦士 レインボーマン』に参加された経緯からお聞かせ下さい」

有川氏;
「お話は、当時の東宝テレビ部の芝山さんから来たんです。元東宝撮影所長をやっていらした方です」

聞き手;
「東宝のプロデューサー、野口光一氏からの依頼ではなかったのですか?」

有川氏;
「野口くんとは、以前一度仕事をしたことはあるんです。僕はオヤジ(円谷英二)から『テレビの方を開拓してくれ』と言われて、1年半くらい円谷プロに在籍していたことがありますが、その時彼が東宝から出向してきて、『怪奇大作戦(68年)』をやったんです。

これが終わると彼は東宝へ帰りましたが、その後も私はよく東宝へ顔出すことが多くなり、国際放映に移って、また『レインボーマン』で彼と組むことになったわけです。この作品がうまくいったと思えるのは、彼がよく協力してくれたおかげですね。

他のプロデューサーだったら、私のいうことを理解してくれたかどうかわかりません。彼は以前こういう特撮番組の経験があるから、本編と特撮のバランスをどう取るかということが分っていたんですね」

聞き手;
「川内康範先生とは、お会いになりましたか?」

有川氏;
「はい。始まる前に、ホテルニュージャパンにあった事務所に呼ばれました。この時は、正直ビビリましたね(笑) 最初はおっかない人だと思っていましたから。実際にお会いしてみるとそうでもありませんが、でもああいう雰囲気で押してくるタイプの人は、映画界にはいませんね」

聞き手;
「その時は、どのようなことを話しましたか?」

有川氏;
「映像的に凝るよりも、俺の書いたテーマを大事にしながらやってほしいということを言われましたね。他の人なら、『とにかくカッコよく創ってくれ』って言うと思いますが、川内先生は、脚本に込めた俺の気持ちを大事にしてくれと言われました。

そのあと何度か打ち合わせでお会いしていますが、『あれはダメだった』と言われたことは、一度もありませんでした。むしろ『よくやってくれている』と、ほめていただいて」

聞き手;
「国際放映に移られてから、初めて長丁場のテレビシリーズを手掛けられたわけですが、それまでの仕事の仕方と比べて、大きく違った点はどこでしょうか?」

有川氏;
「円谷プロや東宝でやっていた頃は、グループで仕事をしているという感覚がありました。言いたいこと言いながらやっていましたし、自分の力不足の部分は誰かに助けてもらいながらやっていたんです。でも国際放映に移ってからはその感覚を捨てて、個人の力で、一枚看板でやらなきゃいけないんだと、気を引き締めました。

テレビに移って間もないために、そのやり方にまだ慣れてない頃で、なかなかコツをつかめないでいました。最初はシャカリキになってやったり、他の作品を観て反省したり。あと、映画はその1本で勝負しますが、テレビは26本なり52本という期間の中で、色々なことを考えないといけない。それは初めての経験でしたね」

聞き手;
「この作品では、気持ちよく仕事が出来たという理由は何でしょうか?」

有川氏;
「一番大きかったのは、人間関係に恵まれた事だと思います。プロデューサーの野口君はよくやってくれたし、他のスタッフとも非常にスムーズに仕事が出来た。本編の監督をやっていたヤマケン(山田健監督)や長野ちゃん(長野卓監督)とも非常に親しかったし、そういう点は楽に仕事ができました。ヤマケンは、確か川内先生の事務所で最初に紹介されたんですよ。

その時彼が、『有川さんは、僕の大先輩なんです。有川さんが全盛期のゴジラをやっていらっしゃる頃、僕はガメラをやっていたんです』と言うから、『誰のところでやってたの?』と聞いたら、『湯浅(憲明)監督です』と・・・。それからグッとくだけた関係になったんですよ。お互いに言いたいことを言い合えるようになりましたし、相手が困っていれば、何とかしよう思うようになりましたね」 
(つづく)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

レインボーマン(6) ~「レインボーマン」では、実に気持ちよく仕事が出来ました(特技監督;故・有川貞昌氏)その2 [レインボーマン]

(前回からつづき)
有川氏;
「予算がそれほどかけられない回というのも、当然出てきます。そういう時はプロデューサーの野口君が、『この前ちょっと予算をかけすぎたから、今回はなるべく抑えてください』という風に言ってくるんです。自分の都合ではなく番組のことを考えての発言ですから、じゃあ何とかしようという気持ちになる。

そういう時はヤマケンや長野ちゃんに、『このカット、本編でこう撮ってくれると後の処理が楽になるんだけど』とか相談できたんですね。1カット1カット、常に話し合いながらスムーズに仕事が出来たんです。互助の精神と言いますか、それをお互いに発揮しながらやっていました。

映画だと本編は本編、特撮は特撮と仕事を進めていって、本編が『ここから先は特撮に任せよう』なんて、半ば押し付けてくることもありましたが、この作品に限ってはそういうことは一切ありませんでした。最初の頃は確かに失敗もありましたよ。

例えば水を吹きだすホースが画面に映ってしまっていたこともあった。でもやっているうちに、そういう失敗はしなくなりますし、同じようなカットを撮っていても、よりカッコいいものが撮れるようになります。経験が生きてくるんですね。ここがテレビシリーズの良い所ですよ。

映画だと失敗すればどうしようもありませんが、テレビでは後で修整が効きますからね。最近、DVDで見返しているんですよ。反省する所ももちろんありますが、あの当時としては、ここまでやったのはヨシとしようという所もありますね」

聞き手;
「それは、例えばどういうシーンでしょうか?」

有川氏;
「例えば、ダイバダッタが怪我をした兵士から念力で銃弾を抜き取るシーンがありますね。ここは手の形にマスク(*)を作っているんですが、普通ならそこに光を被せてファーッとした感じを出します。でも当時の技術では、光線を実際に光として合成することが出来なかったんです。だからどうしても輪郭を持ったものになってしまう。

しかも光線というのは白一色で、色を付けることが出来ませんでした。我々技術者にとっては、非常に残念だったんですよ。仕方がないので、マスクの中にレインボーマンというイメージで七色の色を被せてみたんです。ひとつのマスクの上に、もやもやした七色のフィルターをかけて、動かしてみました。

普通ならマスクを被せておしまいという所に、もう一つ被せて合成を二重にしたんです。これは時間的もの大変な作業でしたが、その手間をかけただけのことはあったんじゃないかと思います。あれをあの当時やったことについて、自分に合格点をやってもいいんじゃないかと思っています」
(*)マスク;合成のために、画面の一部を見せないように覆ういろいろな形状の画像のこと

聞き手;
「逆に、しまったと思われたシーンは?」

有川氏;
「結構、ピアノ線が見えているシーンがあるんですよね。操演の中代さんとは長い付き合いで、ツーカーで仕事をしていたんですが、撮影している時は気づかなかった。こういう『しまった!』と思ったシーンというのは、長い間忘れないものなんです。『ゴジラ』をやっていたときから、そうです」

聞き手;
「後半はモグラートなどの死ね死ね団の新しいメカが登場して活躍するようになり、やや作品のカラーが変わりますが」

有川氏;
「前半は割とドラマが中心でしたが、後半はもう少し画面を派手にしようと、川内先生からも提案が出たんです」

聞き手;
「予算が増えたのでしょうか?」

有川氏;
「トータルの予算は変わってないと思いますよ。前半より、特撮に回す予算は増えたかもしれません。野口君の采配で、そうなったのでしょう」

聞き手;
「何度か東宝特撮映画から映像を流用していますが、この指示も有川さんが出されるのですか?」

有川氏;
「ライブを使うことのアドバイスは僕がやることもありますし、野口君からの場合もあります。ライブを使うのは、もちろん予算的なことが大きいですね。でもその使い方には、注意が必要なんです。豪華に見せようと思ってスケール感のあるライブを使った時、そのつながりで話が進んでしますと、後でそれに見合ったセットを組まなくちゃいけなくなる。

そうすれば、かえってお金がかかる。だったら最初から、ちゃんとセットを組んだ方がいい。だからライブの流用は、あくまでも後のカットに影響しない、そこだけの1カットとして必要になった時に限られますね。使うことが決まった時は、野口君が直接東宝の編集室へ行って、このフィルムを貸してくれと交渉していました。当時はそれでOKでした」

(注)ライブの意味を調べましたが、用語として載っていないため、前後の文章からの推測で、『既存の映像を使用すること』のような意味合いになると思います。

聞き手;
「オープニングも、有川さんのお仕事ですか?」

有川氏;
「あれも僕がやりました。各化身の背景の模様などは、おそらく三重四重に合成しているんじゃないですか」

聞き手;
「木の化身のバックにアニメーションを使ってみたり、非常に凝ってました」

有川氏;
「あのアニメーションにしても、1コマいくらですから、なるべく枚数を使わずにどううまくみせようかと、苦労しました。もう少しリアルな動きがほしいとか立体的な動きがほしいとか思う訳ですが、なかなかできなくてね。各化身の変身シーンだって、もっとこういうイメージでやりたいと思っても、すべてがその通りになるとはかぎりません。

野口君は『なんとか、この辺で収めましょう』と歯止めをかけてくれました。決して自分の言いたいことだけを押し付けてくる人間ではなかったんですよ。野口君とふたりで『レインボーマン』の延長を川内先生にお願いしに行ったことを覚えています。でも川内先生が『もう疲れた』とおっしゃったので、終了することになったんです。『レインボーマン』は、自分の履歴の中でも誇れる作品だと思っています」  (おわり)


★★★★★★★★★★★★
レインボーマンの終了理由が、川内康範先生の側にあるとは意外だった。昭和の初期、月光仮面で出来なかったことを、昭和の日本人が一番活気のあった時代に、このレインボーマンである程度やり切ったのかもしれない。
川内先生が言いたかったことは、日本人はガンバリ屋さんで忍耐強いから、国難にあってもお互いを信じて強く生きていこうということだと、筆者は思っている。いま平成の世になり、そのすそ野が少しずつ崩れかけているのではないか。人を信用できなくなってきている。
振り込め詐欺、深夜の連続放火、弱い者を狙う犯罪が多い。『義理がすたれば、この世は闇よ♬』昔の映画の歌のようにならないことを、祈るだけだ。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ
前の3件 | 次の3件 レインボーマン ブログトップ