So-net無料ブログ作成

仮面ライダーV3~今だから言える27番目の秘密!(後編) [宮内洋]

仮面ライダーの原作者・石ノ森章太郎氏はメディアによる対象年齢の違いということを意識していたという。テレビは小さい子供たちも見るからその子たちが楽しめるように、漫画を読むというのはもう少し上の年代の子だから、その子たちにはよりメッセージ性のあるものを、という考えがあったそうだ。

仮面ライダーの漫画版とテレビ版では内容が全く違うのは、そのためであるという。

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
(前回からのつづき)
アナウンサー;
「最終話近くで、デストロンが打ち上げたプルトンロケットをライダーマンが操縦して自爆し東京を救うシーンで、V3は仮面ライダー4号の称号を贈るわけですが、宮内さんはあのシーンをより効果的に撮るために、時間帯を待って撮ったそうですが・・・」

宮内;
「最終話の1つ前の回で、V3の姿で『仮面ライダー4号の名を送るぞ!』って言ってるんですけど、それは明るい陽のあるデイシーンの撮影なんですね。それで最終話で『結城はどうしたっ?』ておやっさんに訊かれて、『おやっさん、おれは結城に、仮面ライダー4号の名を送った』というセリフをいうんですが、

これはどうしても明るいうちじゃ無くって、全体的に夕景といいましょうか、そういった背景で言いたいセリフなんで、このシーンだけはその時に撮ってくださいってお願いしました」

アナウンサー;
「ライダーマンというのは途中から出てきたキャラクターなんですが、ライダーが二人になって、演じる上で何か気をつけた所とか意識されたような所はありますか?」

宮内氏;
「最初は敵でした。それが味方になったわけですが、それまで敵同士の時はロケ弁(撮影現場で出る弁当)は一緒に食べなかったです。普通の日常会話もしません。朝の挨拶『おはようございます』と、終わったら『お疲れ様』、それ以外の余計な会話は一切無かったですね。

それで結城(ライダーマン)と友情が結ばれてから、向かい合って一緒にロケ弁当食べましたけど(笑)。やはり目とか演技に何かが出てしまうんですね。だから敵対している関係の時にはなるべく近づかない様に、そこまで入れ込んでいましたね」

アナウンサー;
「それはどちらかが言い出したというんではなく、自然とそうなったと・・・」

宮内氏;
「ボクがそういう風にしていたら彼も来なかったのか、彼もそう考えていたのか、その辺はわかりませんが。お互いにそんな感じにしてましたね」

アナウンサー;
「石ノ森ヒーローを演じてみて、俳優としての演技の幅は広がったでしょうか?」

宮内氏;
「4年間で4本やったわけですね。一番初めにやった風見志郎と二番にやった新命明(アオレンジャー)の違いをどう出すのか。新命明と早川健(ズバット)の違いをどう出すのか。早川健と番場壮吉(ジャッカー電撃隊・ビッグワン)、立て続けにずっと来て、そのキャラクターを全部変えなくちゃいけない。

自分の頭の中で考えたことは、まず年齢の差を作りました。それと敵に対する向い方。風見志郎は、とにかく真っ直ぐに向っていく青年。風見志郎は相手と戦う時は腰を低く構えているし、新命明は少し腰が上がってくる、

早川健はギターを持ったまま『どこからでも掛って来いよオイ』って感じ、ビッグワンになるとキザに『おいでどこからでもっ』ていう風に、年齢と雰囲気を変えていかないとだめだなと。

ゴレンジャーをやるときに石ノ森先生の事務所に行きまして、アカレンジャーとアオレンジャーはどういう使い分けをするのかという質問をしまして。ヒントをいただきましたのは、アカレンジャーは宮本武蔵だと。アオレンジャーは佐々木小次郎だと。

一応隊長はアカレンジャーだけれども、地位の差を作らずケンカしない程度にすれば、うまくいくんじゃないかと。今までヒーローはひとりだったですが、ゴレンジャーは5人ですから。歌舞伎の白波五人男から発想されたそうですが、地位の差を作らずに武蔵・小次郎のような関係でやれば、すんなりいけるんじゃないかと。

先生からそれを聞いて受けたのがアオレンジャー役ですし、風見志郎との違いは腰の位置と目線の違いを考えて演じました」

宮内氏;
「V3は仮面ライダー1号2号のバッタのキャラクターに対して、極端に色が違います。初めてご覧になった皆さんは、ビックリなさったと思いますが。のちに先生に伺いましたら、幼稚園の先生方にお話を伺ったら、子供たちが一番早く無くなるクレヨンの色、アカとグリーンとシロだそうです」

アナウンサー;
「あっ、V3を描くから・・・」

宮内氏;
V3を描くからじゃ無いですよ。そういった色が早く無くなるから、それを使ってV3をデザインしたんですよ。だから1号2号ライダーとは、まったく色が違うんだよと(先生が仰ってました)。偉大な方ですね

宮内洋、ヒーロー一本道(1) ~ありがとう!ライダーV3、ありがとう!風見志郎 [宮内洋]

宮内洋氏は、子供の頃からヒーローだった。と書くと「えぇ~」となるが、本名でもある宮内洋という名前を友達は、遊びに誘う時に『ヒ~ロ~』と大声で呼んでいたという落ちである。

男兄弟の真ん中で、厳格な父に育てられたおかげで、『兄を尊敬し敬う気持ち』と『弟をいたわる気持ち』が養われ、人としての道、けじめを教わったと言っている。またそのことが、「正義とは何か」を常に考えることの伏線になったとも言っている。

では、宮内洋氏の話をどうぞ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東映ニューフェースとしてこの業界に入った宮内氏は、霊界の宣伝マンと自称していた故・丹波哲郎氏を師と仰ぎ、TBSの『キーハンター』というスパイもの番組で本格アクションを身に付けていくことになる。

ある時、「東京の毎日放送へ行くよう」に言われたが、これこそが『仮面ライダーV3』のオーディションであった。毎日放送の局長、部長クラス、東映のプロデューサーらがズラリ並んでいる所で、『東映の宮内洋です』と普通にあいさつしたのだが、その態度が『俺は東映の宮内洋だ!』のごとく大きくみえたとか。

当時その場にいた平山亨プロデューサーがそう言うのである。やがて主人公・風見志郎役は10人に絞られて、その時点で宮内洋に決定した。東映で制作していることは知っていたが、一度も観たことのなかった『仮面ライダー』だった。

早速ビデオデッキを買って放送を見たら、その頃は1号2号のふたりのライダーが活躍していた。師匠の丹波哲郎氏にこのことを話したら、『お面で顔も判らないような役なら、やめっちめぇ』と言われて、『はじめは素顔で出て、あとでヘンシンとやってお面になるんです』と答えたら、『フーン、そうかい』という会話があったことを思い出すという。

ある日、マスコミを集めてV3の撮影会が行われたときのこと。宮内氏はまだ他の映画撮影をしている最中で、チンピラやくざ役だったので髪は短かった。当時ヒーローは、髪が長くアイドル系がいいということだったため、この撮影会と本編撮影が始まってからの最初の12本は、短い髪を隠すためにカツラを付けて演じていたという。V3、26の秘密の一つであろう(笑)。

初日の撮影でバイクが転倒・大破させてしまった宮内氏だったが、撮影半ばも過ぎてキバ男爵の頃には、バイクチェイスで普通に突っ走るところを、トランシーバーで会話しながら走ることもやるようになっていた。これはこのトランシーバーを刀代わりにして、横で伴走している敵とバイクに乗ったまま戦うというシーンを撮りたかったからである。

ツバサ軍団の頃には、バイクで敵を追跡するシチュエーションで、木と木の間をバイクですり抜けていく風見志郎に戦闘員が両側からロープを投げ、風見はロープに引っ掛かり絡めとられて、バイクだけが走り抜けていくというシーンがあった。

このシーンも宮内氏が演じて、バイクは大破しないように砂地のような場所で撮影した。これらは必ずしもストーリー上撮らないといけないシーンではないかもしれないが、宮内氏は自分のアクションに新しい味付けをしたかったのだった。

常に新しいことを考えて、監督に進言する。それによっていいアクションが撮れたなら、それは東映の評価が高まることにつながる。自分は東映所属の役者だし、スタッフも東映の社員。良い作品を撮るためには、危なくない程度の無理・無茶もしようという心意気であった。

『仮面ライダーV3』の地方ロケーションは、伊豆、浜松、高知、愛媛があった。高知と愛媛では現地の子供たちに少年ライダー隊として参加してもらうため、夏休み期間中にロケーションが行われた。フェリー『さんふらわあ』号を使っての移動であった。

この船での移動中も撮影をしながらの行程。愛媛松山の奥道後観光ホテルでの大ロケーションを行った。ホテルの庭園内で火薬を使ったり、松山城の階段でバイクを走らせたり、ロープウェイの上に登ったりと、とにかく派手にやった。

この時はテレビの前後編と映画の合計3本持ちだったが、制作費を使いすぎて金が無くなり、ホテル側に『ステージでアトラクションをするから』というお願いをして、無料で酒を飲ませてもらったという逸話がある。ちなみにその時に約束したアトラクション内容は、宮内洋1曲唄(柳ケ瀬ブルース)と大野剣友会の殺陣だったそうである。

撮影も終盤に来て、ライダーマン登場編がある。デストロンの科学者でありながら、優秀さをねたまれてヨロイ元帥に処刑されかかった半改造人間だ。時にはV3の味方になり、時には敵に回る。デストロン首領に逆らいきれない立場が、彼をそうさせる。

このキャラクターがいたからこそ、プロトンロケットのエピソードは大いに盛り上がった。ライダーマンがいなければ、ロケットの爆発阻止を誰がするのか。V3が身体を張って阻止するわけにはいかないだろう。ライダーマンがやってくれたからこそ、あそこまで悲壮感あふれる名シーンになったに違いない。

身を挺して東京を救ったライダーマンは、まさに『仮面ライダー4号』の名にふさわしい男だ。宮内氏は、この『ライダーマンの最期』に花を添える言葉をつぶやくシーンは、夕陽の時間帯を待って悲壮感を出そうという演出を考えた。夕暮れに、あのセリフは心にしみるものになると思ったからという。

『仮面ライダーV3』は、視聴率好調のうちに終わりを迎える。企業の宿命か、番組の打ち切りに対して現場の人間は何も言える権利を持たない。

普段なら宮内洋=風見志郎=ヒーローとして自覚を持ち、行い等にも努力していたが、最終回を告げられた日の夜だけは、風見志郎、いや宮内洋は新宿歌舞伎町で涙しながら呑んでいたという。そんな宮内氏の相手をしてくれたのが、長石多可男監督(当時助監督)であった。

その夜はヒーロー風見志郎を忘れて、飲んだという。こうしてヒーローというものを深く考えるきっかけをつくってくれた『仮面ライダーV3』は、終わった。「ヒーローとしての心構えを教えてくれた風見志郎よ、ありがとう。そして仮面ライダーV3よ、ありがとう」 (終わり)