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ジャイアントロボは、やさしいお顔(1) ~元祖・巨大ロボットもの [ジャイアント・ロボ]

身長30メートル、体重500トンの巨大ロボット。巨大ロボット特撮ものといえば第一に思い出すのは、ジャイアントロボだ。原作は筆者の大好きなバビル2世の原作者でもある、横山光輝先生(故人)である。音楽はルパン三世やゴッドマンの山下毅雄先生(故人)。
実写の特撮ロボットものは、数えるほどしかない。他に思いつくのは、正統派のレッドバロンとマッハバロン。アイアンキングやジャンボーグA・ジャンボーグ9、マグマ大使などはロボットの設定ではあるが、動きが滑らかすぎてロボットには見えない。ジャイアントロボの着ぐるみの材質が、あのぎこちない動きをさせていることは間違いない。しかしそれがいかにもロボットらしくて、大きな魅力になっている。

次にロボの「ヴァ」というあの声。ウルトラマンの「シュワッ」と同じくらい子供たちの間では有名になった。どのようにして、あの声にたどり着いたのだろう?アニメのロボットたちは、声を出さない。マジンガーZやゲッターロボの声は、操縦者が叫んでいる声だ。声を出すロボットは、このジャイアントロボだけではなかろうか。(確かなことは言えないが)


ジャイアントロボの制作プロデューサー、平山亨氏(故人)のインタビュー;

平山;
「赤影でね、横山先生の所へ行ってるときに、少年サンデーだったかな、連載するジャイアントロボを見かけて、『アッこれ、巨大ロボット物ですか、先生』って言ってね、たぶんその時は、まだ連載前だったように思うんだけどね。『これ、やらせてください!』って言ってね。人連れてね、小学館とNET(現テレビ朝日)とね。ただ毎度のことだけど、特撮ものは金かかるぞと。悪魔くんもそうだし、キャプテンウルトラも大変だったんだよ。赤影も京都(の撮影所)で大変だったらしいけど(笑)」

「ジャイアントロボにはね、一作一作視聴者と一緒に、子供たちと一緒にね、人生を考えながら学んでいったみたいな、そういうステップがあるんだよ、この26話の流れの中にね。そういう意味では、シリーズ物としてのテレビ映画の作り方は、映画じゃできない部分だね。映画はどんなに長くても3時間でしょ。そうすると、ああいう(テレビ映画のような)作り方はできないよね。一作一作に巨大ロボットと少年との友情というテーマを盛り込んでいって、とうとう最後には、少年のいる地球を救うためにギロチン帝王と抱き合い心中して宇宙の果てに消えたジャイアントロボというね。あれね、最終回になるまでああなるとは思わなかった。どうしようかなって思いながら、いよいよ(脚本家の)伊上さんが最後の筆を取る直前に、やっぱりこれは、うまくいってメデタシメデタシと言う訳にはいかないねという話になって。じゃあ、(ロボを殺すことを)やるかって。ボクはね、この時に反対意見だったんだけど。ここまで(視聴者の)子供たちに親しんじゃったジャイアントロボがさ、宇宙の果てに自爆して帰ってこないってさ、あまりにもちょっと残酷じゃない。子供たち皆、泣くぞって思ってね。ホント皆泣いたんだってね。俺ももちろん、泣いたけど(笑)。でもね、人生の厳しさとかさ、友情の厳しさとかね、なかなかすごいことを子供たちに教えたというか、提供したのかもしれないなと思うんだけど」




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ジャイアントロボは、やさしいお顔(2)~当時の制作スタッフが語る制作秘話 [ジャイアント・ロボ]

故・横山光輝先生のジャイアントロボは、週刊少年サンデーに1967年(昭和42年)5月から1968年(昭和43年)3月まで連載された。東映が『大魔神とウルトラマンをドッキング』というコンセプトを元に、『鉄人28号』を発表していた横山光輝氏に、テレビ化前提でロボット物の原作を依頼したという。
横山氏は、リモコンがあれば誰でも動かせた『鉄人28号』とは違い、『ジャイアントロボ』は草間大作少年の命令でのみ動くというように差別化を図った。

マリー花村;『ロボは、ロボは自分を犠牲にして、地球を救ったのよ(涙)・・・』

草間 大作;『ロボ! ジャイアントロボ!(涙)・・・』

ユニコーンのメンバー全員が、大空に散ったジャイアントロボに向かい敬礼をしている。
(ナレーション)
『地球に平和がよみがえり、ギロチン帝王は滅びた。そしてジャイアントロボは、人々の目の前から消えた。だがしかし、再びこの地球に危機が訪れるとき、我らのジャイアントロボは、どこからともなく飛んで来てくれるかもしれない。サヨナラ、ジャイアントロボ!さようなら!!・・・』


制作スタッフの撮影秘話;

矢島氏(特殊技術);
「テレビと映画は作り方が違うんで、テレビはカットを重ねて迫力を出す。オーバーにやると。火薬でも何でも、リアルよりもオーバーにやると。それが見ていて丁度良いっていうのが解りましてね。ジャイアントロボの時は、それが解りかけてきた時で。皆カラー撮影にも慣れてきて、今では考えられないですけども、これをやったときは熱気があって楽しい作品だったですね」

「何しろ当時は造形を作る技術、造形素材、それが非常に悪くってですね。ロボをプラスチック素材のような物で作ったんですけども、とても重いロボットになりましてね。中に入っている(スーツアクターの)土山さんですら、体力があるのに疲れ切っちゃって、アクションできるような物ではなかったんですね。で、殺陣師の久地さんって方が、僕がいうようなアクションは(この固いスーツでは)できないと。カッコイイポーズをとろうとしても、腕が上がらないっていうんですね。それでアクション用にゴムで作ったんですね。ゴムだからへこんだりするんですが、どうも軽いと人間の形が出ちゃうと。だから苦労して大変だったけど重い材質の方でやったのが、ロボットの感じが出てよかったと思ってますね」

「ロボの顔はね、エジプトから来たようなデザインで、非常によかったですね。人が良いような感じの顔立ちだったですね(笑)。能面と同じように、怖い時、楽しい時、ライティングを変えて撮りましたね。顔の片面だけ光が当たってるようなのが、ボクは好きでした。当時はフィルム感度が悪かったし、色々な制約がありました。でもあの顔は、現代でも受けるんじゃないかな、と思ってます」


阿部氏(怪獣技術);
「最初はね、悪魔くんだったかな?それに怪獣が出てきて、その時にボクが一番力持ちだったのかわかんないけど、怪獣を担当することになったんですよ」

「どんな怪獣を持ってきてくれるのか、それが楽しみだったですね。それを今度はこちらで料理するというか、より本物らしくするという作業が楽しみでしたね。生きている皮膚の感じをだすとかそういうことを心がけていましたね。怪獣の動き自体が難しいもんですから、殺陣師の久地さんと相談しましてね。特殊な面白い動きを付けようということで。怪獣に関してはこんなことができますよとか、吊りながらこういう動きをさせてみようかとか、相談しながらよくやりましたね」

「イカゲラスという怪獣の中に入っていて、死にそうになったことがありましてね。プールの中に怪獣の身体を全部沈めて出てくるというシーンでね、材料が軽くて潜れないんですよ。それでねチャックを開けて水を入れて沈んだら、今度は水が出ていかないんです。こっちは苦しくてもがいているのに、スタッフ皆がうまいウマイって笑ってるんです。こっちは苦しくて暴れてるのにね(笑)」


折田氏(監督);
「特撮班とドラマ班と、別個に二本仕立てで行くんですが、どうしても特撮っていうのはカット数が稼げませんので、番組がスタートする2~3か月前から一緒に始めても、追われるのは特撮部分なんですね。だから両班が常に打ち合わせをしながら、撮っていくんです」

「巨大に映ってると言っても、せいぜい190センチくらいの人が着ぐるみを着込んでるわけですよね。唯一手の部分だけは、巨大なものを作ったんですよ。これは実際の設定から割り出した大きさですから、これだけは非常にインパクトがあって思い出に残ってる重要な部分ですね」

「皆不慣れで未熟な部分はありましたが、それが後々の特撮作品のベースになってることは事実なんで。これがベースになって、東映の特撮ものがもっと発展すればいいし、いい作品ができることを願っています」


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