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異星人との遭遇・4 [古代の宇宙人]

前回は大航海時代のUFO目撃事件について述べたが、UFO目撃事件は、アメリカ大陸発見と大陸征服の時代を通じて、度々起こっているという。

目撃者は、コロンブスだけではないのである。マゼランは、コロンブスの新大陸発見のあとに、世界一周を果たした人物である。太平洋と大西洋を結ぶ海峡を発見したマゼランも、目撃しているのである。

船乗りたちは、空の上に、又は水の中に、怪しげな光を目撃している。コロンブス達が見たのは、単なる自然現象だという声もある。だが、夜空に見える光として流星とUFOとでは、特徴が全く異なる。

又、島の住人が掲げた松明(たいまつ)の光が見えたのではないかという意見もある。しかし、目撃地点はどの島からも50キロ以上離れていて、この説は考えられない。

19世紀以降、光の正体についての様々な憶測が飛び交ったが、どの説も納得するに足る説明はできなかったのである。

1561年4月14日、ドイツ。夜明けと共にニュルンベルクの人々が見上げた空は、当時の一枚刷りの新聞によれば、世にも恐ろしい光景だったという。
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様々な形をした不可思議な物体(葉巻型や円盤や球体、十字型の物体)が無数に空を飛び、空中戦らしきことを繰り広げていたという。これらは突然、また別の物体を吐き出し始めたという。

球体や円盤状の物体は長い時間とどまって、上空で戦闘をしていたという。それらが戦っていたことは明らかで、人々はどちらが優勢かを見て取れたという。
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そのうちいくつかの物体は地面に墜落し、煙や蒸気に巻かれて消失した。残りの物体は太陽に向かって飛び去り、姿を消したという。
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この事件の全容は、ブロードシートに記録されている。これは16世紀における新聞のようなもので、このブロードシートがスイスのチューリヒに今も残されているという。

チューリヒ中央図書館では、この有名なニュルンベルクでの目撃事件を描いた木版画だけではなく、スイスのバーゼルで1566年に起こった同様の目撃事件を写し取った木版画も、保管されている。
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二つの事件は、空に円状の物体が群れになって現れ、増殖を始めると言う点が非常に似通っている。バーゼルの人々は、これを戦争だとは解釈せず、天からの兆し(きざし)だと思ったのである。

この異常現象が、神のなせる業(わざ)だと受け止めた。昔の人々は、すべての超常現象を神の次元のものだとして、「神の祝福だ」あるいは「神の罰だ」、「悔い改めに教会へ行こう」と考えたのだ。

ニュルンベルクの事件記録で興味深いのは、宗教的な意味を見いだそうとしている点である。事件の翌日、空を飛ぶ十字架の話で持ち切りだったという。

今の我々が見れば、胴体に翼が付いた乗り物であれば飛行機(ジェット機)と見えるものも、当時は日常的であった宗教的シンボリズムを通じて、人々の目には十字架と映ったと考えられるのだ。

実際にどのような光景だったかを推し量るのは困難であるが、それを目撃した時代にポピュラーであったものが、代名詞的に使われることになるというのだ。

ニュルンベルクの人々は、対立する宇宙人の派閥間戦争を目撃したのだろうか。この事件は、三千年以上も前に編纂されたバガヴァッド・ギーターにある「神々の戦い」と酷似している。

そうでないなら、輝く球体と真紅の十字架が空に現れたという臨場感あふれる記録の真相は、何だったのか。

中世の時代、謎の現象は、神もしくは霊的な存在によるものだと考えられていた。その後17世紀に入り、人々はその答えを、科学や天文学の中に求めようとした。

1608年に屈折式天体望遠鏡が発明されると、さらに多くの人々の目が星へと向けられるようになった。皮肉なことに、この新発明が世界初のUFO目撃を生み出したのである。目撃者はアメリカの厳格な牧師、コットン・マザーである。

マザーによれば、望遠鏡で月を見ていた時、月の表面を光が飛んで行く姿を見たというのである。この記録は、NASA〈米航空宇宙局〉に保管されている。

NASAには500年以上にわたり、月の異常を観測した記録が報告書として残されており、その中にこのマザーの目撃事件も記録されている(この観測記録は、一般公開されている)。

マザーのような宗教上の権威が、この目撃事件を神の啓示と考えず、天文学的事象として記録した点には大きな意味があるという。

その意味とは、地球外生命体が存在するかもしれないという視点が、キリスト教的宗教観に組み込まれたということなのだろうか・・・この事件で見えた光の正体は、謎のままである。

18世紀に入っても、マザーのような目撃事件はまれであった。だが、天文学への関心は高まり、他の生命が宇宙に存在すると説く「世界の複数性」をめぐって、議論が巻き起こった。

そして、18世紀後半までには、知的生命体が太陽系の至る所(火星や木星、土星の3惑星と月)に存在すると、学識者の大半が信じるようになっていた。

18世紀の有名な天文学者であるウィリアム・ハーシェルも、世界の複数性の支持者であった。1700年代には異星人の存在をめぐって議論が活発に行われたが、異星人が地球を訪れているかという点までは争点にならなかった。

ところが、1731年にアイルランドのキルケニーで、赤い雲から出現した光る物体が目撃され、その後一週間の間に、ヨーロッパ中で似たような光景が目撃される事件が起きると、異星人の地球来訪の可能性に目をつぶることは、最早できなくなっていた。
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当時は、通信手段が無いばかりかラジオもテレビも無く、情報の交換手段など全く無い時代。この未確認飛行物体の目撃記録は、ヨーロッパを越えて東欧のルーマニアに至り、さらにアジアへ向かって行ったことが、多くの人々の目撃記録として残っているのである。

17世紀の植民地時代のアメリカでも、UFO目撃事件のあったことが分かっている。ジョン・ウィンスロップの「ニューイングランドの手記」の中にそれは出てくる。事件は、ボストンで起こった。
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ある夜、ボストンに向かってボートを漕ぎだした3人の男たちは、途中で巨大な光が空に浮いているのを目撃する。ずっと見ていると、それは収縮を繰り返してブタのような形へと変形したという。
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光るブタを見たと、大真面目に報告する人がいるだろうか。おそらく目撃者は、光る楕円形の機体(宇宙船)から4本の着陸用の支柱が出ているものを見て、表現に行き詰ったため、当時の人々が理解できる例えを使ったのではないかと考えられるのだ。

記録には、その飛行物体についてこう書かれている。「矢のような速さで、上下左右に行きつ戻りつしながら、2~3時間も飛んでいた」

しかも驚いたことに、その光を目撃している間に、目撃者たちは下流に向けて船を漕いでいたはずなのに、気がつくと出発地点に戻っていたという。この時間に関する不可思議な現象は、宇宙人によるアブダクション(誘拐事件)と関係があるのでは、と考えられている。
(つづく)


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ここでいう世界の複数性とは簡単に言うと、「地球外知的生命体」が存在するという論争のこと。
「神がお創りになった宇宙に、地球人しかいないはずがないではないか」という宗教的思考法で、自然科学を考えることである。だが、この論法で地球以外にも知的生物が存在するという考えを進めていくと、矛盾が生じた。そして、自然科学と宗教学は両立しないと考える人物が現れ、「世界の複数性」を批判するようになっていく。

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